宮古の人が読みあげる民話9: 通り池の継子台 / 読み手: 本永光子さん

本永 光子(もとなが みつこ)

1952(昭和27年)年、宮古島市平良に生まれる。
宮古高校を卒業後、役者を目指し、神奈川にある「東京芸術座演劇研究所に入る。(研究生3年)

昭和50年、沖縄に戻り、沖縄女子短期大学児童家庭課に入学。

昭和53年、宮古の県立漲水学園に就職。この辺りから、宮古民話の会に入る。

昭和60年、お話の語りや読み聞かせに関心をもち、「おはなしたまてばこの会」で、10年間活動。

4年前退職してから再活動。

とおいけままだい

昔、ある夫婦に男の子が生まれました。ところが、子どもが生まれてしばらくすると、母親は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまいました。父親は、男の子を育てるためにアトゥトゥズ(後妻)をめとることにしました。継母は、自分の子ができるまでは、その男の子をかわいがりました。
月日がたち、自分にも男の子ができると急に態度が変わり、継子を邪険にあつかうようになりました。そして、早く殺してしまわないと、血を分けたわが子にこの家を継がせることができないと思うようになります。
ある日の夕方、母親はイザリ(汐干狩り)をするために2人の子を連出しました。そして、通り池のところまで来ると、2人を寝かせて1人で海に入ることにしました。わが子は、すべり落ちないように岩のごつごとした所に寝かせ、継子は滑り落ちやすいように滑らかな岩の上に寝かせました。母親にはある魂胆があり、自分の子にはマガタマを首にかけてやりました。
2人は通り池の淵近くに寝ていましたが、弟が「兄さん、ぼくの所は岩がごつごつして寝むりにくいから交替しよう」と言うと、弟思いの継子の兄は「いいよ」と言って交替してくれました。弟は喜んで、「はい、これあげる」と言って母親が首にかけてくれたマガタマを兄の首にかけてやりました。
夜もふけ、イザリから帰った母親は、ぐっすり寝ている2人に、まず首の玉ガマを確認し、ない方を通り池に突き落としました。そして、もう一人をおんぶして必死に逃げました。途中で背中の子が「母さん、どうしたの、弟は」と聞くので、そこで我に返りました。
状況を察知した母親は、継子を振り落とし、気も狂わんばかりに泣き叫びました。そして、今来た道を一目散に賭け戻り、子どもの名前を呼び続けましたが、何の返事もありません。池はただ静寂を保つだけでした。とうとう自分も池に身を投げました。
人間の悪の報いの恐さを今に伝えています。池の水の色は時々表情を変えるということで、継母の悲しみの色にも例えられます。

話者わしゃ佐和田さわだカニさん=伊良部いらぶ

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