28) 太陽の流した島

たいようながしたしま

むかしもとじまの近ちかくにパナリというむらがありうつくしいむすめがいました。たいようまいにちうっとりとながめていました。あるとき、たいようもとじまり、むすめほんとうちをつたえました。そして、二人ふたりふうになり、子どももまれました。

ところが、たいよういそがしくていっしょまってばかりはいられません。むすめはそのことがりませんでした。あるたいようつまどもいたさにやっとのおもいでしまりてきました。つまいえくと、つまで、もりどもをおぶってうたうたっていました。「♪あんたのかあさん、おこってったよ、オニヒトデをってておとうさんをタフモウ(ころそう)とうみったさ」

そんなうたいたたいようは、いっしゅんみみをうたがった。そして、もりにもういちうたうようにった。もりとくそうにまたおなうたうたった。たいようあらためてなおぶんちがえではないことをってカンカンにおこった。「わしのことをそんなふうにしかおもっていなかったのか」と、もりあたらした。

どもをげ、たいようもりをけばし、パナリのさきおもみつぶした。それで、しまながれていまひがしざきぜんぽうにあるということです。はなしによっては、パナリはながれていってくりじまになったということもきました。

しゃしもカマド=ぐすく

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