40) ヤースサァドゥ ンマサ

『ヤースサァドゥ ンマサ(くうふくなによりのごちそう)』

むかし、キサマはたけではおこめがよくれるのに、クバカはたけではあわとかまめ、キビなどのざっこくしかれないせたがらでした。それをいいことに、キサマは、いつもおこめべんとうをクバカせびらかし、「おまえはよくそんなざっこくべんとうべられるな」とばかにするのでした。

あるよるふたり人はうみふねあそびにくことになり、おたがべんとうじゅんすることにしました。キサマはおこめべんとうを1にちぶんってきました。クバカうみるとなにがあるかからないので、1しゅうかんぶんのキビやアズキなどのべんとうっていくことにしました。うみたら、おかずを捕っさかなやタコなどでまかないました。

やはり、いちにちではかえれず、ふたり人はりょう続けつづていました。ゆうってしょくりょうさんしたクバカは、ひとり人でおいしそうにざっこくのおにぎりをべていました。それをたキサマは「きみはよくそうしてひとり人でべられるね。わしにもけてやろうとはおもわんか」といました。「とんでもない、こんなざっこくをあなたにべさせるなんてしつれいですよ」とクバカうとキサマは「悪かわるった、これからそうわないから、すこしでもけてくれ」ときついたそうです。

ヤースサドゥ ンマサ(ひもじさがおいしさ)。ひとは、おなかいていればなんだってしいとべるもんだってさ。

しゃがましげいちしも

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