宮古の人が読みあげる民話2: 鬼退治の三つの玉 / 読み手: さどやませいこさん

さどやませいこさんは、長年、宮古島の「んきゃーんじゅく(ことわざ)」やわらべ歌、宮古島のおばあ、おじいたちが語り継いできた民話(ゆがたい)など、島の財産である先人たちの知恵を集めてこられました。その中で、子ども向けに編集をし、出版をしたのが『宮古島の民話百選(上)(下)』です。この2冊は、宮古島市内の学校にも寄贈され、國仲智江子さんの企画により音声化もされました。音声は、FMみやこでも毎日、流され、宮古島で愛されている民話集です。本ウェブサイトの民話は、さどやまさんが長い時間をかけて大切に育ててこられた民話を共有してくださっています。

また、さどやまさんは、宮古毎日新聞社の記者としても長年、宮古島で活躍し、宮古島の人たちに直接インタビューをして、島の人たちに常に寄り添った記事を書かれてきました。現在は、宮古島市文化協会の事務局長も務められ、宮古島の現在の「文化」にも多面的に寄与されています。文化協会のウェブサイトに挙げられている「みゃーくふつの旅」では、さどやまさんが足を運んで、聞いてきた「んきゃーんじゅく」を話してくれるおじい・おばあの生の声を以下のウェブサイトで聴くことができます。

「宮古島市文化協会ウェブサイト」の中の「みゃーくふつの旅」
http://miyakobunka.com/voice.html

『宮古島の民話百選(上)(下)』を購入できるページ
http://item.rakuten.co.jp/385store/10000450/

『宮古島の民話百選』に関する宮古毎日新聞社(2015年1月14日の記事)
http://www.miyakomainichi.com/2015/01/71553/

おに退たいみっつのたま

むかしとりわかものがおった。あるときわかものおもった。「こんなちいさなむらにいただけでは、なかのことがからない。いろんなむらしままなんでこよう」とおもい、たびることにしました。

たびたくととのえ、いそいそとかけました。むらみねをこえて、あるきつかれたころまえをよろよろとあるくみすぼらしいろうじんかけました。そのままそうとおもったが、いまにもたおれそうなので、わかものは「だいじょうですか、よかったらわたしちゅうまでってあげよう」とって、ろうじんをおぶりました。

しばらくくと、ろうじんは「ああー、もうよい、つかれはとれたようだ、ほんとにありがとう」とはなし、ふたはしばらくすわっていろいろはなみました。わかものたびわけき、「そうか、きみはいろんなことをまなぶためにてきたんだな」とかんしんし、「ただ、どうちゅうはいろんなことがあるだろう。けんったら、このみっつのたま使つかいなさい。げるとひとつはみずふたやまみったまだ」とのこし、いつのえていた。

わかものは、なじいさんだとおもい、みっつのたまものそでだいにしまった。それからむらむらしまじまたびして、ぎゅうかたや、のうさくもつつくかたなどをまなび、いよいよぶんむらでそれをかそうとについた。ちゅうひとざとはなれたところでいっけんいえつけた。すこやすませてもらおうと、「ごめん、スサレー」とこえをかけた。くらいえなかからぬーっとてきたのはおにだった。いえなかなまぐさく、どうやら、やままよんだおとこおんなをつかまえてべているようだった。しまったとおもったわかものはそのげようとおもはしした。すると、うしろから、「オレのものげていくー」とっていかけてくる。わかものは、ひっはしった。ちゅうで、あのじいさんからもらったみっつのたまのことをおもし、「そうだ」とって、まずさいしょたまいききかけおもげた。わかものおにあいだには、おおきなかわができた。ところが、おにみずうえはしっていかけてくる。

わかものは、こんふたたまし、またいききかけげつけた。すると、わかものおにあいだにはおおきなやまができたが、おにやまなんのその、とげとげのアダンのやサルカケミカンもかきけていかけてるのだった。わかものは「それならば」とさいみったまげつけると、それはたまやまこりました。おににはてずとうとう、んでしまいました。わかものは、あのよぼよぼのじいさんのおかげいのちびろいしたのだった。じつは、じいさんは、かみさまで、しょうじきひとたちをたすけるやくだったようです。

わかものは、かみさまたすけられ、またいろいろまなんだことをせいかつかしたので、せいこうし、しあわせにらしたということです。

しゃまえざとざい=ぐすく

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