『手の生えた継子』
昔、あるところに仲の良い夫婦がいました。ところが、娘ができ4歳になったころ、妻が病で亡くなってしまいました。夫は、小さい娘のために後添えをもらうことにしました。ところが、この継母は心根の悪い女で自分の子どもができると、継子をいじめるようになりました。
娘が年頃になると、継母の意地悪はますますひどくなり、夫には娘の良いことも悪いことのように言いつけていました。ある日継母は、継子が男を連れ込んで悪いことをしていると言い付けたので父親もとうとう切れてしまい、娘の腕を包丁で切り落とし「お前のようなやつは、どこへでも出て行け」と勘当しました。
娘は、泣き泣き隣村に行きました。それでも、知らない村でどう暮らしたらよいか分かりません。娘は庭の広い屋敷の側に鈴なりするミカンの木の下で、お腹を空かせて泣いていました。そこへ屋敷の息子が出てきて「どうしたのか」と聞きました。訳を聞いて同情した息子は「それなら家へ来なさい」と言って自分の部屋に隠しました。そして、自分の分のご飯を二人で分けて食べるなど仲むつまじくなりました。
しばらくすると、息子は兵役で家を空けなくてはならなくなりました。そこで、いつまでも娘のことを家族に隠しておくわけにはいかず、両親に本当のことを話しました。「自分が帰るまで大事に面倒見るように」と話し、両親も優しい人たちで、それならばと息子の留守中、家族のように暮らすことにしました。娘にはすでにお腹の中に命も宿っていました。両親は大事な孫の誕生を楽しみに息子の帰りを一緒に待ちました。
ある日、息子から手紙が届きました。ところがその内容は、障害を持った娘の面倒は大変なのに子どもが生まれたら、さらに大変だなどと書いてありました。両親は戸惑いました。あれほど大事にしなさいと言っていたのにどうしたことだろうと。そのうち、子どもが生まれると、今度の手紙は「半端者の子どもは障害を持っているかもしれないから追い出しなさい。私は帰って立派な嫁を見つけるから」と書いてありました。
実は、息子が旅の途中に立ち寄った家が娘の実家で、手紙のことを知った継母が内容を書き換えていたのです。そうとは知らない両親は、泣き泣き嫁と孫を家から出すことにしました。娘は子どもを負ぶって泣きながら家を出ました。途中まで行くと子どもは泣くし、のどは渇くものの水はないし、途方にくれました。
そうしているうちにソーソーという水の音が聞こえ、川が流れていました。何とかして水を飲みたいと、かがんだそのとき、負ぶっていた子どもがするっと落ちようとしました。瞬間、娘は無意識に両手を伸ばしていました。すると、何と両腕が生えていました。それから隣村に行って部屋を貸してもらい、働きながら子どもを育てました。
そこで、機織を習い、生計を立てられるまでになりました。美人で手に職もあり、村の男たちが嫁にしたいという話も出てきました。でも、手の無い自分を大事にしてくれた息子のことを忘れることはできませんでした。
何年か後に兵役も解け、嫁や子どもに会えると喜び勇んで帰ってきた息子は家に二人の姿がないので、どうしたのか聞くと「あんたの手紙に追い出すように書いてあったので、泣く泣くそうしたよ」と言う。息子は驚いて捜しに出た。隣村に来ると、よく似た女が機織をしている。でも両手があるので、別人かも知れないと思いながら近づいて尋ねた。娘は帰ってきた夫を見て「待ってて良かった」と泣きながら迎えました。
息子はこれまでの出来事をいろいろ話し、お互いの誤解を解きました。こうして、家族はまた元に戻り、幸せに暮らしたということです。
(話者/平良恵勇=上野)