35) 手の生えた継子

えたまま

むかし、あるところになかふうがいました。ところが、むすめができ4さいになったころ、つまやまいくなってしまいました。おっとは、ちいさいむすめのためにあとえをもらうことにしました。ところが、このままははこころわるおんなぶんどもができると、ままをいじめるようになりました。

むすめとしごろになると、ままははわるはますますひどくなり、おっとにはむすめいこともわるいことのようにいつけていました。あるままははは、ままおとこんでわるいことをしているとけたのでちちおやもとうとうれてしまい、むすめうでほうちょうとし「おまえのようなやつは、どこへでもけ」とかんどうしました。
むすめは、となりむらきました。それでも、らないむらでどうらしたらよいかかりません。むすめにわひろしきそばすずなりするミカンのしたで、おなかかせていていました。そこへしきむすてきて「どうしたのか」ときました。わけいてどうじょうしたむすは「それならうちなさい」とってぶんかくしました。そして、ぶんぶんのごはんふたり人でけてべるなどなかむつまじくなりました。

しばらくすると、むすへいえきいえけなくてはならなくなりました。そこで、いつまでもむすめのことをぞくかくしておくわけにはいかず、りょうしんほんとうのことをはなしました。「ぶんかえるまでだいめんどうるように」とはなし、りょうしんやさしいひとたちで、それならばとむすちゅうぞくのようにらすことにしました。むすめにはすでにおなかなかいのち宿やどっていました。りょうしんだいまごたんじょうたのしみにむすかえりをいっしょちました。

あるむすからがみとどきました。ところがそのないようは、しょうがいったむすめめんどうたいへんなのにどもがまれたら、さらにたいへんだなどといてありました。りょうしんまどいました。あれほどだいにしなさいとっていたのにどうしたことだろうと。そのうち、どもがまれると、こんがみは「はんもんどもはしょうがいっているかもしれないからしなさい。わたしかえってりっよめつけるから」といてありました。

じつは、むすたびちゅうったいえむすめじっで、がみのことをったままははないようえていたのです。そうとはらないりょうしんは、よめまごいえからすことにしました。むすめどもをぶってきながらいえました。ちゅうまでくとどもはくし、のどはかわくもののみずはないし、ほうにくれました。

そうしているうちにソーソーというみずおとこえ、かわながれていました。なんとかしてみずみたいと、かがんだそのとき、ぶっていたどもがするっとちようとしました。しゅんかんむすめしきりょうばしていました。すると、なんりょううでえていました。それからとなりむらってしてもらい、はたらきながらどもをそだてました。

そこで、はたおりならい、せいけいてられるまでになりました。じんしょくもあり、むらおとこたちがよめにしたいというはなしてきました。でも、無いぶんだいにしてくれたむすのことを忘れわすることはできませんでした。

なんねんへいえきけ、よめどもにえるとよろこいさんでかえってきたむすいえふたり人の姿すがたがないので、どうしたのかくと「あんたのがみすようにいてあったので、くそうしたよ」とう。むすおどろいてさがしにた。となりむらると、よくおんなはたおりをしている。でもりょうがあるので、べつじんかもれないとおもいながらちかづいてたずねた。むすめかえってきたおっとて「っててかった」ときながらむかええました。

むすはこれまでのごとをいろいろはなし、おたがいのかいきました。こうして、ぞくはまたもともどり、しあわせにらしたということです。

しゃたいけいゆううえ

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