﹃太たい陽ようの流ながした島しま﹄
昔むかし、保ぼ良ら元もと島じまの近ちかくにパナリという村むらがあり美うつくしい娘むすめがいました。太たい陽ようは毎まい日にちうっとりとながめていました。あるとき、太たい陽ようは元もと島じまに降おり、娘むすめに本ほん当とうの気き持もちを伝つたえました。そして、二人ふたりは夫ふう婦ふになり、子どもも生うまれました。
ところが、太たい陽ようは忙いそがしくて一いっ箇か所しょに止とまってばかりはいられません。娘むすめはそのことが気きに入いりませんでした。ある日ひ、太たい陽ようが妻つまと子こども会あいたさにやっとの思おもいで島しまに降おりてきました。妻つまの家いえに行いくと、妻つまは留る守すで、子こ守もりが子こどもをおぶって歌うたを歌うたっていました。﹁♪あんたの母かあさん、怒おこって出でて行いったよ、オニヒトデを捕とって来きてお父とうさんをタフモウ︵殺ころそう︶と海うみに行いったさ﹂
そんな歌うたを聴きいた太たい陽ようは、一いっ瞬しゅん、耳みみをうたがった。そして、子こ守もりにもう一いち度ど歌うたうように言いった。子こ守もりは得とく意いそうにまた同おなじ歌うたを歌うたった。太たい陽ようは改あらためて聞きき直なおし自じ分ぶんの聞きき違ちがえではないことを知しってカンカンに怒おこった。﹁わしのことをそんな風ふうにしか思おもっていなかったのか﹂と、子こ守もりに当あたり散ちらした。
子こどもを取とり上あげ、太たい陽ようは子こ守もりをけ飛とば
し、パナリの先さきを思おもい切きり踏ふみつぶした。それで、島しまは流ながれて今いま、東ひがし平へ安ん名な崎ざきの前ぜん方ぽうにあるということです。話はなしによっては、パナリは流ながれていって来くり間ま島じまになったということも聞ききました。
︵話わ者しゃ/下しも地じカマド=城ぐすく辺べ保ぼ良ら︶