『ふとんゆうれい』
あの忌まわしい太平洋戦争が終わって、何もかも無くなってしまったあの頃の話です。
着る物も米兵のお下がりや落下傘をほどいた布で洋服を作ったり、おしゃれとは程遠く、身にまとっていれば良いくらいのものでした。食べ物も無いので、ソテツの実や茎を灰汁抜きもせず食べてしまって一家死んでしまうとか、ソテツ地獄などといわれた時代でした。
ある村に、結婚して十年目にようやく男の子を授かった夫婦がいました。それはそれは、食べてしまいたいほどかわいかったことでしょう。ある日、夫婦は子どもの誕生祝いを、村の人たちを招いて盛大に行うことにしました。当時にしては珍しいお祝いなので、村中の人たちが集まったそうです。子どもは大事に裏座に寝かされていました。日も暮れ、いよいよ男たちの酒盛りが始まり、歌、三線、踊りだす者もいて、宴もたけなわになりました。
ギャー。突然、裏座から奇妙な叫び声が辺りにひびき渡りました。人々は何ごとかと一瞬不安に包まれました。夫婦は子どものことが気になって裏座に駆け込みました。そこには、考えられないような光景が展開されていました。。子どもにかぶせてあった布団が上下にバタバタ揺れているのです。まるで生き物のように。布団の下で子どもはぐったりとなっていました。
父親は夢中で布団をはぎ取ると、「このバケモノめ、バケモノだー」とわめきながら、庭に投げ出しました。そこでも布団は動きを止めることなく、バタバタ上下運動を繰り返していました。それを見た村の人たちは手に手に棒を持ち、布団を打ち付けました。それでも揺れは止みません。村人たちは今度は鎌を手に布団を切り裂き始めました。何と、布団の四つの角には人の爪に髪の毛がグルグル巻かれて縫い込んであったそうです。
当時は行商人がいろんな物を売り歩いていて、その夫婦も、そうした人からかわいい我が子のために布団を買い求めたということでした。一人の村人は「おそらくこの布団は、墓荒らしによって掘り出された物で、悪霊が乗り移っていたかもしれない」と話したそうです。
めでたいはずの誕生祝いは、翌日子どもの葬式になってしまったという悲しい話です。
(話者/西原春男)