松谷初美さんは、現在、宮古島市文化協会事務局次長として、汗を流してくださっています。宮古島の方言大会をはじめ、宮古ことばの講座の企画や運営など、いつも一生懸命、笑顔で走り回っています。
初美さんには、実は、もう一つの顔があります。それは、ミャークフツ(宮古島方言)・メールマガジン主宰としての顔です。「くまからかまから」メールマガジンを長年続けてこられました。このメルマガは、宮古島出身の人たちの心のオアシスともなっています。宮古ふつ(ことば)が飛び交う、バーチャルな宮古のコミュニティでは、いつも笑いあり、涙あり、懐かしい話があり、宮古島に関わる最新の情報が満載です。月に2回、発行されるこのメールマガジン、こちらのウェブサイトで読むこともできます。
くまから・かまから 掲示版
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『かえるになった息子』
昔、あまのじゃくで乱暴者の息子がいたそうだ。親の言うことはまったく聞かず、それどころかいつも反対のことばかりしておった。
「クィシィジョーブン」(これでいいよ)と言うと、
「アラン、カイガドゥマス」(ちがう、あれがいい)と言い、「アツカ、ジョブンサイ」(そしたら、それでいいんじゃない)と言うと、今度は「アンチャーアランユー」(そうじゃないよー)といった具合で、どうにもやること、なすこと、すべて反対しないと気が済まなかったようだ。
親は考えました。「この子は、わしらが死んでもおそらく反対のことをするだろうから、逆のことを言ったほうがいいのかもしれない」と思いました。ある日、息子を呼んで「わしらは老い先みじかい。いつお迎えが来てもおかしくないから、大事な話をしておこう。お墓は川の側に造ってほしい、頼んだよ」と言いました。
それからまもなくして、本当に二人はあの世に行ってしまいました。息子はこのときばかりは嘆き悲しんで、親の遺言どおり、墓を山のふもとの川の側に造りました。ところが、息子は雨が降るたびに気がきでなりません。「お父とお母が流されてしまう」心配で夜も眠れず墓の番をしていました。そして、とうとうかえるになってしまいました。
今でも、雨が降ると川の側で「わしのお父はどこー、お母はどこー」とゲロゲロ鳴いているんだってさ。
(話者/前里財儀=城辺)